悲しいのです

owl2003-04-13

ワンダービートS(ワンダービート・スクランブル)というアニメを知っている人はどのくらいいるのだろうか。
いまは充実したファンサイトなどもあり(http://www7.plala.or.jp/twilig/phoenix/)、プロバイダによっては全話ネット配信をしていたりもするようだ(WAKWAKなど)。詳しい情報はそちらに譲るとして、まあ簡単に言うと「医学博士でもある手塚治虫 肝いりの人体サイエンスアニメ」といったところ。
因みに私(おうる)はかなり一生懸命観ていた。なにしろあの手塚治虫がリアルタイムで手がけているアニメである。観ぬわけにはゆくまいて。
だが、その当時このアニメを知る人は少なく、油断しているうちに「いつの間にか」放送は終了していた。(このあたりに関しては様々な意見があるとは思うが、私(おうる)の印象では、あれは間違いなく「打ち切り」であった。)
背景にどういった動きがあったのかは、不勉強ゆえ知らぬ。ただ、私(おうる)はこの「放送終了」に、妙に納得してしまっていた一面があった。
おもしろくないのである。
勿論、見どころはいっぱいあった。だが、いくらサイエンスフィクションだからといって(いやむしろサイエンスフィクションだからこそ)見過ごすことのできない無理な設定がどうしても頭にまとわりつく。そしてその無理から来る、空虚な正義と空虚な悪の空虚な葛藤。空虚さゆえの「ゆるさ」。小学生でもわかる、宇宙人が人間の人体を調べたいのであれば、わざわざ小さくなって侵入なんてまどろっこしいことをせず、拉致して解剖すれば済むことである。当初のモチーフを真面目にアニメ化していったのであろう、しかし、その真面目さ故に、子供でも気付くような矛盾をはらむ。そして登場人物は、そんなあからさまな矛盾に気付くこともなく、話中の世界観や倫理観に至って真摯であり続ける。こんな無理・空虚・緩慢・真摯を気にしないようにしつつこのアニメを「楽しむ」のは、子供ながらに正直疲れる作業だった。



いま、何故こんなことを思い出したかというと、この 4月から放送されている「ASTRO BOY 鉄腕アトム」を観るうち、同じような疲労感を覚えたからである。自然科学・医学・人文科学、あらゆる面から「こころ」の研究は進んできたはずだ。だが、近未来であるはずのアトムの世界は相変わらず 1960年代のそれである。もはや「懐古趣味」。元の作品の世界観を真面目にトレースしようとすればこうなるのも致し方ないのであろう。そして登場人物はその微妙な考証に飽くまで真摯であり続ける。見る側との乖離は徐々に進行する。私(おうる)は剥がされまいと、いつの間にか体力を消費していた。
勿論、見どころはいくらでもあるのだろう。でも、来週はもう観ないかもしれない。
小馬鹿にしているのではない。悲しいのである。何が悲しいのかは正直よくわからないのだが…。