駄楽器と僕

私(おうる)の母親はあらゆる意味で「音痴」であった。音感もリズム感も皆無だった。そんな母親の血を半分受け継いだおかげで、私(おうる)も音痴である。しかも、幼少の頃に音楽的教育を全く受けなかった。貧しかった、ということと、母親が音痴ゆえ音楽教育に対する理解が皆無だったことがその理由だ。(加えて私は小さい頃から母親に「声がうるさい」「やかましい」「静かにしろ」「小さい声で喋れ」…と言われ続けていたらしい(どうやら「言われただけ」ではないらしい)。私自身はそのことをほとんど覚えていない(記憶の底に封じてしまっている)のだが、あとで聞いた事実からしてこれは確かなようである。特殊な「通る声」を持つ私(おうる)の喋りがヒステリーの母親には耳障りだったのだろう。)
そんなわけで私(おうる)は「自分の中の音楽」について一生苦しむことになる。
高校 1年のとき、音楽の授業で「ドレーク・テスト」というのをやらされたことがあった。私(おうる)の結果は、音感リズム感ともに「A」ランク(=音大生レベルらしい)。同じクラスで同じ合唱部の同じパートに属する音楽的にも頭脳的にもエリートであった友人より、私(おうる)のほうが成績が上であったことが、私(おうる)にとって限りない喜びであった。
現実問題としては、しかし、そんなことはなんの解決をももたらさない。
内的にいくら優れた音感を有していたとしても、それを出力する術を一切持たなければ、なんの意味もないのだ。それは最早ある種の呪いのようだった。
勿論、小さい頃無理矢理ピアノ(などの楽器)をやらされて音楽が嫌いになってしまったなんて話もよく聞くから、どっちがよかったかどうかなんて結果論に終始するだけかもしれない。だとしても私(おうる)は、この腹の中で鳴っている、鳴り続けているそれを自分の外へと出せないこと、無理矢理出したものがそれと全然違う貧相なごみであることに、絶望的な苛立ちを覚えるのである。
そこに重たい変梃な蓋をした奴を、焼き殺してやりたい。